
今日はクリスマスイブ。仕事は休み。夫は仕事。外は雨。家の中に籠る条件は揃った。読みかけていたマンスーンの『無職、川、ブックオフ』をベッドの上で読む。妙に一文の短い文章に影響されて私もそれ風に書き始めた。

無職系?のエッセイを見つけると買ってしまう。phaとか。自分の人生にも無職っぽい期間が3回くらいあった。大学卒業後に就職せずいたころ、30歳を過ぎて上京し、人の家に居候していたころ、結婚前に夫の家に転がり込んで一日中ゲームをしていたころ。あるのは時間だけ。どこにも行くところがない。お金もない。やることがあるふりをしている独特の焦燥感。無限にインターネットを見てしまう感じ。
『無職、川、ブックオフ』を読んでいて、その時代の感覚を思い出した。「無職の才能がある」という一文を読んで、深く共感した。私にもあると思う。隙あらばその機会をねらっている。『無職~』の中で起きている状態のことを「縦になる」と表現していて、横になっている状態が常であれば、確かに起きることは縦になることだと気がついた。どんなに家の中から出ずにお金を使わないつもりでいても、お金は必要で、そのうちに働く必要が出てくる。そして、私は中途半端に一般社会で仕事をする能力もあり、今は一応働いている。
もうすぐ1年も終わりだ。幸いなのか、まだ人生は終わりそうな気配が全然ない。頑張って生きなければならない。この前、前の職場の同僚と会って話した。悲しいぐらいに話が嚙み合わなくなっていた。その人は会うたびに仕事が変わっているし、またもうすぐ転職するのだという。そしてずっと仕事の愚痴を話していて、私の近況は何も聞いてくれなかった。おしゃれなカフェでバターたっぷりのトーストを食べながら話を聞いていたら、段々と気持ちが悪くなってきた。加齢で、バターとかそういうのがつらい。あんなに大好きだったのに。
生きていて、何不自由なく暮らしていることがとても申し訳なく感じる。だからなんの意味があるのかわからないけれど、罪滅ぼしのつもりで募金などをしている。過剰なぐらいにゴミの仕分けをしたり。工事現場の人や配達の人に「お疲れ様です」とか言ったり。そのうち、とんでもない罰を受けるのかもしれない。でも、細かい徳ポイントを積んでいたのか、昨日は犬を2回も触れた。
夫が仕事から帰ってきたので、作っておいたカレーを食べた。できるだけクリスマスっぽくしたくなかった。しかしそれも意識し過ぎて逆にダサい気もする。結婚前、夫とクリスマスにそれっぽい店で食事をしたことがある。私はプレゼントに手袋を渡した。夫は餃子の王将のスタンプを貯めたらもらえる餃子の形のキーホルダーをくれた。完全に負けたと思った。なんと凡庸なプレゼントを渡してしまったのだろうと己を恥じた。
夫がいると無職時代の思い出に浸っていた気分が消えてしまった。結婚すると、それだけで社会的信用度が爆上がりする。何もしてないし変わってないのに。すごいシステムだと思う。
…書くことがなくなった。今年は5月から1か月に1回の更新を目指してブログもちょいちょい更新した。来年も何とか生き延びてブログなどもやっていきたい。
みなさまよいお年をお迎えください。
