
先月に「これから毎月ブログを更新する」と宣言しましたので、何も書くことがなくてもひねり出します。ぼんやり生きていたら今年がもう半分も終わってしまったので、上半期を振り返るなどやってみようと思います。
1月 正月の訃報
旅行にも行かず、実家にも帰らない静かな正月を過ごしていたら、1月2日の早朝、義父が亡くなったとの連絡が入りました。大至急病院に駆けつけて、あの世へと旅立った義父と面会。享年89歳、死因は老衰。手を合わせた後にしんみりする間もなく事件性がないか念のため確認するという警察の聞き取りや、葬儀屋との打ち合わせなどに忙殺される展開に。1月2日なのに、病院関係者、警察官、葬儀屋と、正月に関係なく働いている人たちがいることを目の当たりにし、この人たちが休んでいたらどうなってたんだ?とありがたさを痛感。そこから毎日のように義父の葬儀に関する手続き等で夫の実家に通う日々が始まりました。そんな中で自分の両親や、自分自身の死についても現実を突きつけられ、頑張って生きねばと襟を正す思いに。自分の時は死装束と出棺の時の音楽にはこだわりたいな~、とも思いました。あとは首都圏の火葬事情というか、これだけの人口を抱えていると、当然ながら死ぬ人も多いわけで、「焼かれ待ち」が起きていることもわかりました。1年の始まりは死からのスタートでした。

2月 戸籍謄本ブーム
義父の相続などの手続きで、江戸末期の“~左衛門”みたいな名前のご先祖まで遡った戸籍謄本の存在を知り、私も自分の古い戸籍謄本が欲しくなりました。今は広域交付といって、本籍地の役所でなくても、最寄りの役所から全国の戸籍謄本を取り寄せられるのでかなり便利になったようです。「父方と母方の遡れるだけの戸籍謄本をください、理由は自分のルーツを知りたいからです」、みたいなざっくりした理由でも対応してもらえます。必要なのは身分証明書と戸籍謄本が欲しい人の生年月日。自分が直系の親族だとわかれば割と簡単に出してもらえました。驚きのルーツが明らかに!みたい展開が欲しかったですが、大体親に聞いていた通りでした。一番気になっていたのは京都の芸者だったという父方の曾祖母。戸籍謄本によると曾祖母が7歳の時、先斗町の住所に“養子縁組”という形で入ったことになっていて、要は置屋に「売られた」ということのようでした。7歳で花街…かなりのハードモードです。そこからずっと先斗町の住所で、“旦那さん”との間に私の祖父が生まれ、祖父が成人するタイミングで認知されたことなどが記録されていました。私はその曾祖母に会ったことはありませんが、父曰く「めっちゃ怖い」人だったそうです。怖そうです。わずか数千円で先祖に思いを馳せられるので、戸籍謄本を取り寄せてみるのはおすすめです(コンビニプリントできる戸籍謄本もありますが、それだと最低限の情報のみで面白くないので、あくまで役所の窓口で取り寄せることをおすすめします)
3月 不調とたけのこ

3月は花粉症なのか風邪なのかわからない謎の体調不良と精神的な不安定さとで例年の如く不調でしたが、そんな春の唯一のたのしみであるたけのこ、関東地方では今年はうれしい「当たり年」でした(去年は“裏年”でハズレ年、交互に当たりはずれがくるようです)。東京近郊では千葉の大多喜町がたけのこの産地として有名なようで、道の駅のインスタをまめにチェックして、たけのこ入荷の投稿がアップされたら速攻で早起きして東京駅からバスに乗って1時間半ほどかけてたけのこを買いに出かけました。その行動力を他でも発揮したいものです。大体ゴールデンウイークぐらいまでがたけのこ月間で、今年もパンダか私かというくらいに食べました。

4月 けん玉ブーム
単純なので、テレビでけん玉を作っている工房を見たら無性にけん玉がやってみたくなり、けん玉を購入。そういえば一番簡単な「大皿」(一番大きな皿に玉を乗せる)も成功させたことがなかったのでした。大皿、小皿、中皿まではすぐにできたものの、「とめけん」(真ん中の剣の部分に玉を刺す技)がなかなかできない。暇を見つけてはけん玉の練習をしていたら、膝の屈伸を使って玉を受け止めるため、太ももが激烈な筋肉痛になり、階段の上り下りができないほどに。けん玉のやりすぎで筋肉痛とは、我ながら自分の体力のなさが情けないです。1週間くらいのできない期間を経て、無数にあるけん玉YouTubeの動画を見ながら、思いっきり膝を落として受け止めたら成功しました。その時の嬉しさといったら…!その時期はけん玉のイラストばかり描いています。実にわかりやすいです。その次に難易度の高い「飛行機」(玉の方に剣を刺す技)も何度も練習して成功しましたが、現在「ふりけん」でストップしてしまっています。それも初心者あるあるみたいなので悔しいですが、早く成功させてまた情熱を取り戻したいです。三山ひろし、すごいです。
5月 帰省


1年以上ぶりに実家の滋賀になんとなく帰省しました。両親はまだ元気で何よりなのですが、両親と相対していると親の言動の中に自分の悪いところが拡大増幅されて見えるような気がして、なんだか疲れるものです。住んでいたころは滋賀なんて何も興味が湧かないと思っていましたが、離れてみると行ってみたいところが出てくるので不思議です。今回は「太郎坊宮」というところに行ってみました。勝利の神として、スポーツ選手なんかが来るそうです。善良な人間でないと通れないという狭い巨岩の間を通っていくのが面白いです。インバウンドで大変なことになっているお隣の京都と違い、滋賀はまだ全然発見されていないのでどこもガラ空きです。

帰省のついでにいつもお世話になっている大阪のギャラリー魔法の生活さんの2周年祭に行ってみましたが、ヤベー作家さんのかっこいい作品ばかりで爆買いしてしまいました。


6月 かゆみ
前回のブログで書いた通り、5月中旬から謎の発疹が体中にできて、6月も引き続きかゆみに苦しむことになりました。かゆさのあまり、そこから着想を得た漫画も描きました。
そして7月ももう半分を過ぎましたが、ようやく最近になって発疹が出てこなくなって、かゆみ問題は解決に向かいそうです。暑さに慣れてきたのかもしれません。何も書くことなどない…と思ってこの半年を振り返ってみましたが、地味なりにそれなりの一喜一憂があるものですね。
ここまで読んでくださった奇特な方におかれましても、この暑さでやられてしまわないよう、くれぐれもご自愛ください。