
「クリスマス・タブロー」でヨセフを演じたのもいい思い出
今年の1月2日、家でのんびり正月気分を味わっていたら義父の訃報が飛び込んできて、そこからのドタバタがようやく落ち着いたと思ったら今度は年度替わりのドタバタがあり、ゴールデンウィークを迎えた今頃になってようやく落ち着いた心持ちになって、久しぶりにブログなど書こうという余裕が生まれました。
自分が中年になったからか、義父の死といい、最近「終わり」を感じる出来事が多くなってきたと感じます。つい先日の「母校が閉学する」というニュースもそれで、特別思い入れのなかった自分でもそれなりの衝撃と一抹の寂しさを感じました。私の母校は京都ノートルダム女子大学で、カトリックの大学ということもあり、今思えば“ならでは”の出来事もあったなぁと思うので、思い出に浸るついでにいくつか書いてみようと思います。
学歌
アメリカ人のシスターが作った大学ということもあり、学歌(校歌)が英語でした。たしか「宗教音楽」という講義の中で、シスターの指導の下ひたすら学歌を歌って歌詞を覚えていました。「ノートルダム」というのはフランス語のNotre-Dame=我らの貴婦人、つまりイエス・キリストの母である聖母マリア様のことであり、学歌の歌詞はマリア様を褒めたたえる内容でした。今でもサビの“ノートルダーム、ウィプレイズウィグリーチュー(we praise, we greet you)”のあたりはよく覚えています。とはいえ、私自身はクリスチャンではなく、ほとんどの学生もそうではなかったと思います。私の知り合いの中では“ガチ”の信者は一人、なぜかプロテスタントの人も一人いました。
クリスマス・タブロー
キリスト教の大学ということで、イエス・キリストの生誕を祝うクリスマスは特別な行事でした。ある年私は友人からの誘いでタブロー(活人画)という、セリフもなにもなく、ただ絵のように立っているだけの劇に出演することに。私の役はキリスト誕生の瞬間、マリア様の横に立っている夫のヨセフでした。茶色っぽいマントのようなものを着て、杖を持って奇跡の場面を演じました。ただ、立っているだけでしたが…。あまり詳しい情景は覚えていませんが、人生の中でヨセフ役を演じられる機会もなかなかないと思うので、貴重な経験でした。
シスター
おそらくシスターの存在が一般の大学と最も違うところかなと思います。アメリカ人のシスターは私の在学中はいませんでしたが、講義を持っている日本人のシスターが当時何人かいて、私は「聖書学」などシスターの講義を取っていたと思います。シスターは飾り気のない中年女性たちで、修道女らしく頭から頭巾(wimple)を被っていて、服装は簡素なスーツスタイルでした。おそらく「出家」しているような形で、大学の近所の寮のようなところで共同生活していたのではないかと思います。私の在学中(2000年前後)、すでに学生は“お嬢様”とは言い難く、ギャル化が著しく進んでいたので、シスターたちは学生の風紀の乱れに心を痛めているように見えました。印象に残っているのは何かの講義で映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観た時、シスターがとても熱っぽく魅力を語っていたので、やはりキリストというのはロックスターのような存在なのかなと思ったことでした。
小学校
大学はノートルダム学院小学校に隣接していました。大学には私のような“なんちゃって”が多く紛れていましたが、小学校の方は正真正銘、京都のお金持ちの子どもたちしかおらず、共学なので男の子もいました。狭いグラウンドを丸々太った男の子が苦しそうに走っている姿を覚えています。ランドセルや靴まで茶色に統一された制服が特徴で、特に女の子の夏のワンピースが可愛かった記憶があります。大体祇園祭のお稚児さんに選ばれるのもノートルダムの小学生でした。大学にエスカレーターで上がってくる人は少数派でしたが、少ないながらも明らかに他の庶民たちとは違うオーラを放っていました。
京大
「“ダム女”の卒業までの目標は結婚相手の京大生を見つけることだ」、というようなことをよく言われていた気がしますが、実際距離的にも近い京都大学と京都工芸繊維大学とは交流が多かったようです。春になると校門の前にずらっと男子学生が並んでいて、サークル勧誘のチラシを配っていました。私はそもそも配られないか、「仕方なく」配られる感じですごく嫌でしたが…。サークル活動など何もしておらず、京大とも工繊とも交流のない私でしたが、大学生になって初めて男性と付き合ったのがたまたま京大生でした。そのまま結婚していれば、ダム女の標準コースを歩むことになったのかもしれませんが、そうはなりませんでした…。
綾小路きみまろ
ノートルダムとは関係ないかもしれませんが、大学時代の忘れられない思い出として、冗談ではなく本当に「綾小路きみまろ」に近い名前の同級生がいました。当然、女性です。彼女の黒髪ショートカットにおしゃれ感ゼロのファッションにも心打たれて当時私は何とか仲良くなろうと接触を試み続けましたが、警戒されてしまったのか心を通わせることはできませんでした。人生で彼女を超えるインパクトのある名前には未だに出会っていません。
もっと強力なエピソードがないかと思いましたが、これくらいしか思い出せませんでした…。特段濃密な大学時代を送ったわけでもない私の記憶の中にある「ダム女」ですので、他の卒業生にはきっともっといろいろな思い出があることでしょう。
私にとって「ダム女」の一番の魅力は規模が小さいことで、中学や高校とさほど変わらない大きさの校舎をちょうどいいと感じていました。当時のゼミの教授とは今も交流があり、そういう距離の近さもよかったと思います。とにかく小さな大学だったので、閉学のニュースが全国的な扱いを受けていることに逆に驚いたのでした。
「恋のから騒ぎ」に出演していたような一軍女子たちは、今どうしているのか…。