いままでいろいろな仕事をしてきた。旅館の仲居さん、 レコードショップ店員、 編プロで編集もどきのこともやったし、外航船員の研修施設で操船シミュレータのオペレーターもやった。直近では放送局のweb担当(いわゆる“中の人”)もやっている。どれも不器用な自分なりに全力で取り組んだが、うまくいかないことも多かった。それでも年を重ねていくと、ふと“寝かせた分”の味わいが増す瞬間がある。
私は上京する前の生活エリアである滋賀や京都に置いてきた人間関係を、普段全くケアせず、年に一度年賀状を出すことで繋ぎとめようとする悪い習慣がある。今年も旅館時代にお世話になった大先輩仲居さん2人 (推定70代) に年賀状で結婚したことを伝えた。すると2月のある日、2人の連名で祝儀が届いた。もう旅館を辞めてから10年近く会っていないにもかかわらずだ。 京都の有名な老舗旅館で、複雑怪奇な因習が絡み合い、労基法もなんのそのの真っ黒な労働環境だったが、拘束時間が長い分、濃密な人間関係があった。 日々 仲居さん同士の熾烈な派閥争いが繰り広げられ、その2人もよく仲たがいをしていた。そんな2人が連名で…と受け取った時はしばし感慨に耽ったものだ。
また最近、私がライブ会場で出演者たちと社交辞令的な会話を交わしていた時、自分が昔○○というレコードショップで働いていたことを明かした。するとその瞬間から出演者たちの私を見る目が変わり、常連客である彼らがどれぐらいそのレコードショップを頻繁に利用しているかを饒舌に語り始めるということがあった。普段の生活ではほとんど効力を発揮することのない経歴だが、ある特定の人種には光り輝くものらしい。私自身はヴァイナルジャンキーではないのだが…。
またその翌日、今度は“客”ではなくそのレコードショップ時代の“同僚”に偶然会うということもあった。働いていたところとは別のレコードショップに夫とふらりと入ったら、そこで元同僚がDJイベントをやっていたのだ。ただでさえ友人知人の少ない私が、偶然街で知り合いに出会うのはかなり珍しい。お互いを認識したあとに、私がぎこちなく夫を紹介した。私はレコード沼から退散してかなり経つが、彼は更なる深みへとまっしぐらに突き進んでいるようだった。
日常のそういう瞬間が、最近増えているなと感じる。