9月半ばになってもまだまだ暑いですが、8月のマキシマムの暑さに比べるとだいぶ手加減された気温になってきました。最近は大物の訃報に接することが多い気がしますが、今年は去る4月に漫画界の巨星、藤子 不二雄Ⓐ先生が亡くなったことも記憶に新しいです。それに関係してなのか、8月にテレビドラマ版の『まんが道』がNHKで一挙再放送してたんですね。主演の二人(藤子不二雄のコンビがモデル)が、全然漫画なんか描きそうにない陽キャルックスであったり、主題歌が長渕剛作詞作曲、歌が主演二人のうちの一人、竹本孝之が歌う暑苦しい曲であったりして、全然それっぽくない!と違和感を感じたのも本当の最初だけ。すぐにハマってしまい、翌日にはトキワ荘マンガミュージアムに向かっていました(ドラマは上京前の富山時代がメインに描かれていましたが…)。
当時の“何か”を感じたくて、衝動のままにトキワ荘マンガミュージアムに来てみたものの、2020年にできたばかりのピカピカの建物はいってみればトキワ荘のレプリカ。漫画家の怨念のようなものは何も感じられませんでした。その近くで原作の『まんが道』に登場する有名な中華料理屋、松葉が現在も営業しているというのでふらりと立ち寄ってみたところ…
Ⓐ先生はじめ、数々の漫画家の色紙が並ぶ以外はいたって平凡な“町中華”な佇まいのお店で出てきたラーメン(600円)。その、いまのおいしさとはまた違う“昭和おいしい”味わいに、「トキワ荘スピリットはここにあり!」とよく知らないくせに勝手に感極まってしまったのでした。これは至急原作を読まねばいかんと『まんが道』全巻を一気買いし、その日から読み始めました。
Ⓐ先生の作品というと、一般的には『笑ゥせぇるすまん』に代表されるような“藤子不二雄のブラックな方”というイメージなのではないでしょうか。しかし、いろいろ調べているうちに、この『まんが道』は創作関係に携わる者への影響力という意味で、Ⓐ先生の最重要作品といえるのでは?と思うようになりました。“漫画を描く”ことの喜びと苦しみと、それが人生へ関わってくる過程が幼少期からとても丁寧に描かれていて、誰もが主人公の満賀道雄(まがみちお)とその相棒である親友の才野茂(さいのしげる)に感情移入し、ボッボッと走る機関車とともに前進していきたくなるパワーを持っているのです!
未読の方のために解説すると、『まんが道』(中公文庫版で全14巻)では上京前の富山時代が大体7巻まで、あとの7巻で上京して親戚の家を一時間借りし、次いでトキワ荘に入居、ともにまんが道を進む漫画家たちと出会い、そのうちの一人がトキワ荘を去るまでが描かれます。『まんが道』の続編『愛、しりそめし頃に…』(小学館 新装版で全6巻)では劇中の時間が前作の最後からほとんど進んでいないにも関わらず、急に絵柄(特に主人公満賀)がおっさん化して描かれています。20歳そこそこのはずなのに…。『愛、しりそめし頃に…』というタイトルの通り、満賀はいろいろな女性にすぐに惚れるのですが、それらの女性と特別深い仲になることはなく(失恋に終わる)、メインは引き続きまんが道に邁進し、手塚先生を師(神)と仰ぎ、トキワ荘を中心にした漫画家仲間たちと遊びながら切磋琢磨する話が続きます。満賀・才野のコンビやトキワ荘の住人たちが、誰もが知るヒット作を描くようになるのは『愛、しりそめし頃に…』の最後の最後。そして、トキワ荘での暮らしぶりが詳細に描かれるのはどちらかというと『愛、しりそめし頃に…』の方なので、『まんが道』と『愛、しりそめし頃に…』はセットと思って両方読むべしなのです。
最近の漫画に慣れた目で『まんが道』を読むと、その1コマ1コマの密度、丁寧さ、力強さに圧倒されます。1コマたりともぬるいコマがない。“漫画を描く”という絵にならない行為がメインになる作品のなかで、乗り物での移動の様子が本当に丁寧に描かれるのが深い印象を残します。機関車・電車とか駅とか、毎度毎度描くの大変と思うんですが、上京する際の不安な気持ちや高揚感はもちろん、たとえ立山新聞社への通勤でもトキワ荘からちょっと新宿に出るだけでも、行程をスキップしないことで読者の気持ちがうまく乗る効果があるのはでないでしょうか。あと単純に乗り物が好きなのかなあとか。心情を表現する時の独特の絵の表現も、繰り返し出てくることで中毒のようになり、出てくるたびにうれしくなるようになります。
あの線を真似したい、と勢いでたくさん模写を描いてしまいました。よく手塚先生が登場する時に背後に宇宙のようなものが描かれるんですが、あれも真似したいけれどどうやって描けばいいのかわかりませんでした。エアブラシのようなものでしょうか。誰かご存じの方がいたら教えてください。
それから『まんが道』、『愛しり』を読むまでは松葉のラーメンの登場回数はせいぜい2、3回ぐらいだろうと思っていたら、とんでもなかったです。“松葉利権”が疑われるぐらい、何度も何度も登場するのです。すべてを読み終えてロスを感じていたところ、もう一度行かねば…という思いがフツフツと沸き起こってきました。
『まんが道』『愛しり』には手塚先生がトキワ荘を退去後に入居した“並木ハウス”も度々登場するのですが、ここは現在も人が住んでいるということで、ぜひ見てみたいと思って行ってみました。JR目白駅前の目白通りをトキワ荘とは反対方向に10分ほど歩いていくと、雑司が谷の鬼子母神堂参道が見えてくるんですが、ここのケヤキ並木を少し進んで奥に入ったところに並木ハウスはありました!立地といい、佇まいといい、さすが手塚先生という雰囲気がありました。正直、いまトキワ荘に住めるか?と問われれば厳しいと言わざると得ないですが、並木ハウスなら住みたいです。手塚治虫公式サイトのコラムによれば、手塚先生が住んだ部屋はイラストレーターやグラフィックデザイナーなどが代々住んでいるとか。そりゃあやかりたいですよね。『愛しり』で8ミリカメラにはまっていた満賀と才野が締め切りで忙しい手塚先生を撮影するため、鬼子母神のお堂へ連れ出す場面を思い出しながら、鬼子母神にもお参りしました。
で、いったん目白駅に戻って、そこからバスでトキワ荘跡地を目指します。前回は何も知らなかったのでトキワ荘マンガミュージアムだけ行って満足してしまったのですが、本当にトキワ荘が建っていた場所はそこから少し離れた場所にあるのです。さらにミュージアムの最寄りの駅が都営大江戸線の落合南長崎駅だったので前回はそこから行ったのですが、『まんが道』『愛しり』の時代にはなかった駅なので、本当は目白駅からバスで行くのが“正しいルート”なのです。前回の誤りを正そうとバスで目白通りをひたすらまっすぐ進み、二又交番(現南長崎交番)のだいぶ手前で降りて、少し歩きながらゆかりの地を探すと…。初回は見逃しまくっていた「トキワ荘ゆかりの地」プレートがそこら中にあるんですね。この辺りに住んでたわけなので、近所にゆかりの地がたくさんあるのは当たり前なんでしょうが、古そうな店は大体ゆかりの地状態…。
交番を右折して、松葉が見えてきたら更に右折すると、トキワ荘跡地があります。松葉とトキワ荘は道路を挟んで向かいぐらいの距離感。やはり松葉がトキワ荘を今に伝える圧倒的ゆかりの地ということで間違いないのです。2回目にラーメンを食べましたが、やはり美味しいし、なぜか泣ける。お客さんは前回も今回も明らかにトキワ荘目当ての客と地元客と両方いる感じです。もし『まんが道』と『愛しり』にあそこまで何度も登場しなかったら、松葉は今も営業していたでしょうか?あまりにも安いラーメンと、1人、ないしは2人で懸命にお店を回している店主を見ていると、漫画ファンのためにかろうじてお店を続けているのではないか…とその心意気にリスペクトを感じずにはいられません。結論を言うと、『まんが道』と『愛しり』を読んで聖地巡礼したくなったらとにかく松葉に行って「ンマーイ」すべし、です。こういうお店は本当にいつ急に閉店してしまうかわからないですから…。
ちょっと番外編になりますが、トキワ荘の仲間たちの“その後”にとって重要な場所である、新宿の十二社にも行ってきました。ここは『まんが道』の中ではつのだじろうの実家兼仕事場のある場所として描かれているんですが、そういう縁も関係したのか、『まんが道』にも登場するラーメン大好き鈴木伸一氏らが作ったアニメ制作会社「スタジオ・ゼロ」が入ったビルがかつてこの十二社にあり、そのビルの中に藤子スタジオや赤塚不二夫のフジオプロも入っていたらしいんですね。現在そのビルはもうないのですが、藤子プロ(F先生の方)が入るビルがかつての「スタジオ・ゼロ」のすぐ近くにあることがわかったので、見に行ってみました。これがドラえもんの力か…と目を細めて仰ぎ見てしまうキラキラのビルでした。
そんなわけで、『まんが道』にはまった勢いのままに2回も聖地巡礼してしまいました。次は満賀と才野の故郷、富山県の高岡にも行ってみたいです。