クマ牧場に行ったことを書いてから気がつけば3か月近くも経っていました。この3か月の間に「ヒグマの会」に入会し、クマのLINEスタンプも作りました。クマ度数は順調に上がっています。
何か書きたいとは思いつつ、特に事件も起こらない毎日なのであります。スマホのカメラロールをさかのぼりながら、残暑見舞い的な意味合いも込めて日記を書いてみたいと思います。
8月9日
年に1回ぐらい食べたくなる新宿西口の甘味喫茶『時屋』のかき氷。今日が1年のうちのその日だった。
時屋の名物であるどら焼きが、ドラえもんの好物のどら焼きのモデルらしい。そう書いてあるネット記事がたくさんある。本当かどうか知らないけれど、『時屋』という屋号がちょっと藤子・F先生的なSFっぽくていいなと思う。以前に「時屋と先生」をイラストに描いてみたこともある。正直に言って、今日食べたかき氷もあんみつやどら焼きも、びっくりするような美味しさはない。でも慌ただしい新宿駅の近くでほっとできるとても貴重な場所だ。いつ再開発の波の飲み込まれてしまうかわからないけれど、できるだけ頑張ってほしいと思う。
8月4日
8月2日
7月23日
レシピを見ながら買い物をしていて、「このスパイスって家にあったっけ?」と思うことないですか?賭けに出てスパイスが無限増幅してしまうのを避けるため、写真に撮っておくことを思いついたのであります。
7月12日
大相撲観戦にも慣れてきたので、国技館で行われる本場所以外の地方場所にも行ってみたいと思い、名古屋場所に行ってみた。頑張れば東京から日帰りでも行けるのだが、旅行気分を味わいたいと後泊のホテルまで予約して行った。ところが行きの新幹線の中で原因不明の体調不良になってしまい、トイレに行く途中の通路で一瞬気を失って倒れてしまった。その後も気分が悪くてトイレからなかなか出られない。やっとトイレを出たところで女性の車掌さんがいたので助けを求めようとしたのだが、“トイレに長居しやがって”というオーラを感じてしまい、消毒薬なのかスプレーを持って私の後のトイレに入ってしまったので声をかけられなかった。
フラフラの状態で何とか名古屋駅で降り、ホームのベンチに座り込んで、通りすがりの警備員に助けを求めた。しんどいのでどこか医務室のようなところで休ませてほしいとお願いする。困った警備員が連れてきた駅員にもう一度同じことを言うと、どこかに電話で確認して「コロナの関係で医務室は使えない。ここ(ベンチ)で休むか救急車を呼ぶしかない」と言われる。じゃあここで休むと言うと駅員はさっさと帰っていく。正直なんて冷たいんだとしんどい上に悲しくなった。まだ昼過ぎだったが今日宿泊するホテルに電話して、体調が悪いので早くチェックインできないか聞いたらすぐに準備してくれるという。ようやくこれで助かったと思った。
タクシー乗り場までなら頑張れると気力を振り絞って歩き、幸いにすぐにつかまったタクシーで「ものすごい名古屋弁のきつい運転手さんだな…」と名古屋に着いたことを感じながらホテルへ。チェックインの際にはフロントの方が体調のことを気遣ってくれ、アーリーチェックインの分の料金はいらないという。新幹線の駅員と違ってなんて優しいんだと感動する。相撲を見に来たはずなのに、ホテルで休養する羽目に。しばらく寝ていたら体調が回復してきたので、このまま寝ているわけにはいかんと起き上がり、幕内の土俵入りに間に合うぐらいの時間に会場に到着した。本当なら会場を隈なく探検して、本場所との違いを楽しみたかったのに、そんな余裕はなくただ何とか座って取組を見るので精いっぱいだった。一体何をしに行ったのか。
翌日はケロッと元気になり、名古屋の喫茶店をはしごして喫茶店文化を満喫した。帰りの新幹線でまたしんどくなるのが怖くて途中下車できるようにこだまに乗ったが何ともなかった。結局体調不良の原因はよくわからない。何の根拠もないが、行きの新幹線は車両が新しくて“新車のにおい”がきつかったので、それに酔ったというか、アレルギー反応を起こしたのではないかと思っている。相撲よりもまた名古屋の喫茶店に行きたいので来年再挑戦してみようと思う。新幹線の中で体調不良になると、途中下車できないつらさと降りても医務室にすら行けないつらさ、駅員が冷たいつらさがあることがわかった(根にもっている)。
6月28日
この日の数日前から、関西の実家に帰省していた。その際久しぶりに会った妹の夫が岡本太郎が太陽の塔の前に立っている写真がプリントされたTシャツを着ていて、そのTシャツを褒めると、太陽の塔の中のショップで買ったという。2018年から太陽の塔の内部は公開されているらしい。一時は予約がいっぱいだったが、現在はそうでもないという。そういえば太陽の塔自体行ったことがないなと思って、行ってみることにした。老いた父と二人で。
父は1970年の大阪万博にも行ったらしいのだが、とにかく人が多かったという記憶しかないらしい。私は父の運転する車で行ったので楽だったが、他府県から電車で行くとなるとモノレールに乗ったりしてそこそこ不便かもしれない。太陽の塔は万博記念公園というだだっ広い敷地の中に鎮座している。昔はエキスポランドという遊園地が側にあったが、今はよくあるショッピングモールになっていた。予約時間まで時間があったので万博記念公園の中にある国立民族学博物館で時間を潰そうと思ったら、ここをメインに1日必要なぐらいの展示の充実ぶりだった。時間がすぐになくなって太陽の塔へ急ぐ。太陽の塔の内部ってなんだよ、と事前情報なしでなめてかかっていたら、外側の造形と同じぐらいのテンションで作り込まれ、狂気のエネルギーが充満した展示物?だった。何なんだろう、これは。
写真からはわからないが、この内部の真っ赤な「生命の樹」パートでは『2001年宇宙の旅』のスターゲートに突入してわけわからん状態になる時にかかっていたような、叫び声にも聞こえるコーラス付きの音楽がずっと流れている。自分が子どもの頃に来ていたら怖くてギャン泣きだったろう。生命の樹にくっついている生物が、下からアメーバ、爬虫類、恐竜、サルのように階段で上に上がっていくにつれ進化する過程を追えるようになっている。それらの生命たちが、万博当時は機械仕掛けで動いたというのだ。特にデフォルメはされておらず、リアル路線の造形で。さらに腕のところがエスカレーターになっていて、それに乗って外のバルコニーにも出られたり。現在は腕の部分の内部は立ち入り禁止のポールが立っていて、写真も禁止、でもライトアップはされていて、腕の先まで続く階段が見えるようになっている。ようわからんが太郎のやる気を感じた…。昭和の狂気を堪能。出口付近のグッズショップで、当然ながら妹の夫と同じTシャツを購入した。
以上が現在からクマ牧場以降の3か月間ぐらいをさかのぼったカメラロールの感じでした。ざっくりとした日記で失礼いたしました。移動(旅行)するか、食べる時ぐらいしか写真を撮らないものですね。
4月から以前より仕事が忙しくなってしまい、絵を描く時間が少なくなっています。もっと忙しくてももっと描いている人は本当にすごいです。私も絵を通じたコミュニケーションを、細々とながらも続けていきたいとは思っております。今後ともみなさまよろしくお願いいたします。暑かったりいろいろ大変ですが何とか生きていきましょう。